| ●民営化(1992年)以前
1992年以前、科学技術省(DSIR)には、多くの部局と研究者を抱えていた(農業・園芸・生物学、林学、工学、地質など)。国に大きな問題が生じた折りに即応できるように様々な分野の専門家を擁していた。研究者は日常自分の研究をしながら、一旦緩急あれば国の緊急な問題解決にあたることが要請されていた。例えば、羊毛を輸出する際に船内で自然発火するということがあったが、その対策などである。地質学関連では、水漏れのない水力発電用ダムを造ることもあった。以前は研究所長(director)が予算に関して一定程度決定権を持っていた。研究者は所長に研究課題を提案し、予算が認められた。研究者からの提案かない場合は、逆に所長から提案されるか、他の研究者の課題をサポートするよう指示された。仕事を余りしない人もいたが、そのような人は昇給も昇格もなかった。以前は65歳定年制で(その後60歳まで引き下げられた)、法律違反を犯さない限りその年齢またはそれ以上まで勤められた。
●民営化後の変化
1992年多くの変化があった。研究関連では、一つは研究所の法人化(corporatized)、民営化(privatized)であり、もう一つは研究予算配分の決定法が変えられたことであった。
DSIRは解体され10の研究所からのCRIs(Crown Research Institutes)に成った(現在は9研究所)。また政策を造るグループすなわち科学技術研究省(MoRST)と資金供給者すなわち科学技術研究基金(FRST)が分けられた。予算の申請は複雑となり、膨大な様式のものを2年ごとにFRSTへ提出しなければならなくなった。提案書では研究目的のみならず、そのコスト、その研究がどのようにMoRSTの政策にマッチしているかなどを記入しなければならない。研究者は、もし基金から十分な研究費が得られない場合は、それを補うため何か営利的な仕事(commercial
work)をしなければならなくなった。
最近、研究所に入って来る人は、一年契約である。古くからいる研究者は、パーマネントスタッフではあるが、予算がとれなかったり、他の営利的な仕事が見つけられなかったりすると、研究所は3カ月の事前通告で退職金を払って首を切ることができる。
当時何が起ころうとしているのかよく分からなかった。政府は研究所に対してより高い効率と責任、健全な財政を要求してきた。基礎研究の必要性についてはあまり議論はなかったが、継続できると言明していた(現在、基礎研究については別の基金があるが非常に少なく5%以下といわれる)。一方で政府は改革の利点として次のことを約束した。
第一に研究装置が購入しやすくなること(以前は、特に外国の製品を買うには複雑な手続きが必要であった)。
第二に昇格システムが改善されること(以前は、長い複雑なシステムであったのが、どれだけ利益が上げられるかという単純な基準で決められる)。
第三に政府の組織ではなく民間ベースとなるので、給与が高くなること(しかし、実際
には少し下がっている)などであった。
もともと研究者の給料が上がらないのは研究者が研究所や政府に対して強い力を持っていないからで、これは教師、看護婦、医者が強い力を持っているのと全く違っている。研究者がストライキをして家にいても誰も気にしない。研究者の組合もちょっとした運動はやったが、その大きな変化に対抗できなかった。研究所の改革は、医療、教育、輸送産業、鉄道、電信電話などの大きな改革の中の一側面に過ぎなかった。もっと力を持っている労働組合でもこのような大きな変化に対応できなかった。この改革は、サッチャー首相やレーガン大統領に始まる自由市場経済という政治原理(political
philosophy)を源にしている。研究者は大きな魚に食べられる小さな魚(small
fish)のようだった。Steam rollerという言葉があるが、中国における文化大革命のような雰囲気で、ずるずると押し潰され、効率や経済性に関する議論ではその大きな動きに対抗することは出来なかった。
研究者が減り、官僚が増えた
この改革の後、ある研究所で起こったもっとも大きな変化は研究者が減り、官僚(bureaucat)が増えたことである。今やaccountant、financial
controll、humman resourcesという3人の管理部長が他の研究部長とともに置かれている。これらの人はDSIRにおいては世話役であったが、今やこの新しい部長は単なる管理だけでなく、スタッフに関する政策も実行することになってきた。研究所全体が変わった。科学的に優れていることより財政上の効率性が重要視されるようになった。
以前DSIRでは基本的にレポートで昇級昇格が決められていた。今ではそれも変わってきている。以前はresearch
journalに投稿していたのが、最近はindustrial journalに投稿す
ることが増えてきた。例えばアメリカのもっとも権威のある雑誌であるJ.Geophys.Res.
に投稿してもエネルギー産業の人はあまり読まないし、むしろNZ
Geothermal Workshop
の方を読む。そこでレポートを書く場合にある部分を前誌に、ある部分を後誌に投稿することになる。同じようなことがあなた方の日本でも起こるようになるだろう。
我々は5年ごとに評価報告を出す機会がある。しかしMoRSTは主として民間会社の助言や、民間のコンサルタントによる提言によって科学技術政策を出す。そのため的外れな政策が出されることがある。例えば水力発電はわが国にとって重要だということから研究費の半分をそれに当てるなど(研究面では水力発電についてもうやることがないのにも拘わらず)。我々は、研究の方向性の制御を失ってしまった。でももしお金が必要ならその政策に従わねばならない。日本の政府がどのようなゴールを目指しているのかは知らないが、研究所を民営化するということを考えただけでも科学研究者としての権利の持ち様に大きな違いがあることが分かるだろう。
第一に、ある研究所では大きな建物を持っているがそこには人は少ない。経済効率的に言えばこれは良くないことで・小さい建物に多くの人がいなければならない。法人化されたら直ちに政府に建物の賃貸料を払わなければならなくなるだろう。本がほしい場合でも以前は無料だったが、今はすべてが独立採算となり司書の人に頼むのも時間単位でプロジェクトから課金される。会社の車を使用する場合もあるが、その支払いよりもレンタカーを借りる方が安いこともある。
改革で、研究者の日常がどう変化したかというと、毎週時間をどう使ったかを30分単位で記録し、報告しなくてはならなくなった。具体的には、どのJob
Noの仕事に、ミーティングに、マーケッティングに、提案書作成に、何時間使ったかをTime
Tableに記入して提出する。あらゆるプロジェクトは、収入に応じた時間配分が要求される。管理部長は、時間の使い方についていろいろ要求を出す。そんな中で、必然的にその報告書をよく見せようとするようになる。一種の嘘をつかざるを得なくなり、人々の信条の中に微妙な変化を起こし始めている(Creeping
mind situation)。全ての決定が本当はそれ程意味のない財政的な価値により決められる。プロジェクトの責任者は、毎月仕事がどれだけ達成されたか、給与と研究にどれだけ費用を費やしたかを図にして部長に報告する。もし10%の仕事が達成されて、8%のお金しか使っていなかったとしたらそれは良好と判断される。もし研究者が利益を上げていれば、装置や建物が良い状態が保たれるのに、そうでなければ装置も建物も惨めなものになってくる。年輩の研究者は辞めさせられ、よりコストの安い若い研究者にとって変わられる。研究所の目的は、以前は国にとって長期的に何か必要かという観点から考えられていたが、今は、短期的にどのような経済効率が達成されたかに変わってしまった。そんな中では、財政上の価値と我々自身の哲学との間の葛藤が生じてくる。スタッフのモラルは間違いなく落ちてきている。共同研究をやりにくくなってきているし、自分の研究を人に話せなくなってきている。例えば、別のグループの人に測定をしてもらったとすれば、それに対して自分のプロジェクトから時間単位で賃金を支払わなければならない。研究グループ間のバリアー、特に研究所間のバリアーはきわめて高くなってしまった。例え研究者レベルで良好な関係にあっても財政が係わると関係は一筋縄ではいかないからだ。財政に関する議論に多くが費やされるため、プロジェクト責任者の質も最近落ちてきた。以前は、研究所の幹部は国の中でも国際的にも高い評価を受けている人であったが、今はそのような人はいなくなった。
現在、研究部長になって人は単にいろんな理由の組み合わせでそうなっているだけである。評価の高い研究者は、そのようなお金の議論に巻き込まれたいと思わないので誰も研究部長になりたがらない。このような現状を支持する人、あるいは研究体制に関心のない人が部長レベルに昇格し始めているのが実状である。変革前に所長で現在も所長職
(CEO)にある人はたった一人だけになった。変革者は古い研究者を除き、新しい人に入れ替えたいと思っている。そんな意味ではつくばの各研究所長も危ないのではないか。
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