1999年原水禁世界大会報告集

 

筑波研究学園都市原水禁実行委員会


 

はじめに

 
 核兵器廃絶をもとめ,核兵器のない二十一世紀のために世界の草の根から反核・平和の波を起こし,世界中に核のないことを望み,取り組んで行かなければなりません。
 私たちは,8月6日広島そして8月9日長崎に人類史上初めて原爆が投下され54周年を迎えます。いま,核兵器のない平和な世界の実現が切実に求められています。
いまこそ,世界の人々と連帯し,好核政策,戦争政策への批判を広げ,反核・平和の国民的な運動を築くときです。このような中で,1999年原水爆禁止世界大会に参加して被爆地の現状,それぞれの思いを胸に多くの方の話,史跡や資料館の見学を通じて核兵器廃絶の理解と協力を多くの方に求め,ここに大会参加者の思いを記して報告とさせていただきます。
 
 1999年8月
          筑波研究学園都市原水爆禁止実行委員会代表
                       又川  速雄

 Contents
 
 はじめに                                (1)
 
代表の感想
 
原水禁世界大会に参加して 農林水産技術会議事務局筑波事務所  秋山 匡央 (3)
原水禁世界大会に参加して         農業研究センター  永田 義美 (3)
54年前の惨劇にふれて         農業環境技術研究所  高橋 正史 (4)
原水爆禁止世界大会に参加して      農業生物資源研究所  山澤 英之 (6)
核兵器のない21世紀に向けて          畜産試験場  大久保公規 (7)
原水禁世界大会に参加して            果樹試験場  保立 泰男 (7)
原水禁大会に参加して            家畜衛生試験場  高田 圭介 (8)
99原水禁世界大会に参加して        森林総合研究所  松永 道雄 (9)
原水禁世界大会に参加して          森林総合研究所  吉澤 宗慶 (10)
原水禁世界大会に参加して    国際農林水産業研究センター  石川 隆之 (11)
原水爆禁止1999年世界大会に参加して  全農林筑波地方本部  浜田 善幸 (12)
原水爆禁止世界大会で感じたこと   資源環境技術総合研究所  白石  誠 (13)
99原水爆禁止世界大会に参加して  物質工学工業技術研究所  市野 善朗 (14)
長崎原水禁世界大会参加報告       電子技術総合研究所   石田 夕起 (15)
原水爆禁止世界大会・長崎に参加して       気象研究所  原田 智史 (16)
原水爆禁止世界大会に参加して  高エネルギー加速器研究機構  内山 隆司 (18)

原水禁世界大会に参加して     新日本婦人の会つくば支部  宮崎 聖子 (19)

地道な活動こそ平和に      原水爆禁止つくば実行委員会  又川 速雄 (20)
 
(宣言)
原水爆禁止1999年世界大会国際会議広島宣言               (21)
核兵器のない平和な21世紀に向けて草の根から行動を強めよう        (24)
 
 

 
原水禁世界大会に参加して

 農林水産技術会議事務局筑波事務所      秋山 匡央

 
 今回,初めて「原水禁世界大会」に参加し,規模の大きさとすごい活気に圧倒されてしまいました。八月の暑い長崎で熱く平和を願う人々が世界から集ったこの大会で私は多くのことを学ばせていただきました。被爆者の生の声を聞き,「戦争とは」・「原爆とは」どういう物かを知り。また,「反核平和の学習・教育運動の分科会」に参加し,現在の教育における戦争への考え方,教育者が抱える反核・反戦争教育の問題点,出版物があたえている影響等を知りました。他には「ピースジャム99イン・ナガサキ」に参加したことで自分と同年代の戦争を経験したことの無い人達もちゃんと平和について考えていることもわかりました。色々な話を聞き,学ぶと同時に自分の無知さも痛感することになりましたが,とても良い経験をしたと思っています。現在世界のほとんどの人々は核廃止,軍備の縮小を求め訴えています。しかし,核を持ち軍備を強化している国がまだ存在しています。核実験も兵器の開発もまだ続いているのです。そして,日本も「戦争法」により戦争をする国になる危険がせまっています。今まで平和だと思っていたのに,もう戦って勝ち取らないと平和な世界にはならないのでしょうか?出来ることなら「戦う」などという言葉は使いたく無いものです。「何事もなく何もしなくても平和である世界」そんな世界になったらどれほど幸せでしょう。しかし,平和とは言えなくなったこの世界で「自分は何をするべきか?」「なにが本当の平和と呼べるのか?」それをしっかり考えていきたいと思います。いつかまた「原水禁世界大会」に参加し,どれだけ人類は平和に近づけているか確認したいと思います。
原水禁世界大会に参加して

農業研究センター   永田 義美

 
 さる8月7日から9日までの3日間,長崎で行なわれた原水爆禁止1999年世界大会に初めて参加させていただきました。荒川沖駅に朝5時50分集合の強行ではありましたが,大変貴重な体験をさせていただきました。長崎は約半年ぶりで,台風の接近で飛行機が着陸できるかどうか心配でしたが,大した揺れもなく,いかにも世界大会に合わせたかのように天気も回復し,予定通り開会総会に出席,世界各国や日本全国から7000名を超す参加者で会場の市民会館は超満員で,各発言や提言後の拍手喝采に自分も久々に興奮を覚えました。特に被爆者の証言は印象的で心打たれるものがあり,原爆の禁止や戦争反対について意を新たにしました。
 二日目の分科会や分散会は佐世保基地行動に参加,長崎から北へバスで約1時間30分の所にある佐世保市は基地と造船の町で,海上と山から見学,いかにも軍港という感じで,港湾の9割近くは米軍と自衛隊の基地で自衛隊の艦船の横を肩身の狭い思いで離島航路の船が行き来しているように見え,漁船の姿を見つけることは出来ませんでした。佐世保地区労のガイドの方の話では,強襲揚陸艦,輸送艦,掃海艦,救護艦や水陸両用のエアクラフト型揚陸艦LCAC4隻の配備等出撃基地の中核となっているとの事,広島県の岩国基地や長崎県の佐世保基地のように被爆県民の心を逆なでする様な米国や日本政府の政策に憤りを感じずにいられませんでした。
 三日目は平和公園で祈念式典に出席,被爆から54回目の夏もあの日と同じ暑い日差しの中で式典が行われ午前11時2分,1分間の黙とう,胸が熱くなりました。たった一発の原爆が瞬時にして何万人もの尊い命を奪い去り,今でも放射能で,苦しむ人々の気持ちを思うとき,1日も早い核廃絶の日が来るよう願わずにはいられません。日本政府も唯一の被爆国としてはあまりにもひどい新ガイドライン法等,米国に対して尾を振ってばかりいないで,世界の国々に笑われないように「ノー」という強う意志を持って欲しいものである。最後になりましたが,この世界大会参加にあたりカンパにご協力いただいた方々,お世話いただいた役員の方々,貴重な体験をさせていただき感謝しております。ありがとうございました。
 
 
 

 
54年前の惨劇にふれて
 

農業環境技術研究所  高橋 正史

 
 8月の7,8,9日に長崎市で開かれた「原水禁世界大会」に参加してきました。初日は長崎市の市民会館にて開会総会に参加しました。最初にこの大会の規模の大きさに驚き,次に参加されている方々が若者が多く,その活動の取り組み方の真剣さに驚きました。開会総会では各都道府県,世界の国々の平和活動と現状の報告を受けました。二日目は分科会が長崎市の約20カ所の会場で開かれました。私は「被爆者との交流」という分科会に参加しました。そこでは貴重な被爆者の体験談を聞くことができました。
 みなさんは松谷さんという人をご存じでしょうか。松谷さんという人は爆心地から2.4qのところで被爆された「被爆者」なのですが,国に原爆症と認めてもらえず訴訟を起こした人です。松谷さんの体はハンカチも持てない右手,ろくに地面に着けない足になっていました。松谷さんは言います。「みなさん私の体を見てください」と。現状として被爆された方々はあまり表には出ません。なぜなら健康な体を持っている人たちに「被爆がうつる」と軽蔑されてしまうからです。原爆が投下されてからは報道が弾圧されて当時の一般の人は原爆の真実を知りうる手がなかったのです。それは今になっても同じです。しかし松谷さんは原爆の犠牲になられたのに,それでもまた自分を犠牲にして戦っているのです。国は「戦争だったから仕方がない」などと言い,上告を繰り返し現在は最高裁で戦っています。しかしそれは松谷さん一人だけではありません。穴の空いた体を晒す人,黒こげになった自分の母親の写真を晒す人,被爆された方々,あるいは原爆孤児の人たちなどみんな,全国民のために勇気を持って核廃絶に向かって戦っているのです。私は今まで原爆という物を客観的にしか見ていなかったのに気づき,恥ずかしながらこのときに初めて日本は唯一原爆を落とされた国なのだと実感し,今までの自分の自覚の甘さに悔しい限りでした。
 さらに被爆者は日本人だけではありません。強制労働者に駆り立てられた韓国の人々推定5万人,そして戦後冷戦下において世界で2000回以上行われた核実験の大部分を占めるアメリカとロシアは200万人から300万人の被爆者を抱えているとも言われています。しかしこういう事実がありながら認めようとしないアメリカとロシア,そしてアメリカの奴隷と化している日本政府の被爆者への対応,始末の悪さにはひどい憤りを感じます。
 三日目には閉会総会が開かれ,被爆時刻である11時2分にみんなで黙祷を爆死者の方々に捧げ「この地を最後の被爆地に」で締めくくられる大会宣言を全員拍手で採択し,原水爆禁止1999年世界大会は幕を閉じました。放射性物質は長年経て半減期を迎えますが,アメリカが日本に対して行った事実そしてその真実をより多くの人に伝え世界が一丸となり核を廃絶しなければ「戦争の傷跡」「人々の心の傷」の半減期は迎えられないでしょう。そして今「日本は平和の先進国」がもろく崩れ去り,「日本は戦争の先進国」という事実を受け入れ,この事実を日本全国に広めなければいけないと思いました。
 最後に皆様のカンパでこのような貴重な体験させていただけたことを御礼申し上げます。この体験が無駄にならぬよう努力していきたいと思います。

原水爆禁止世界大会に参加して
 

              農業生物資源研究所  山澤 英之

 
 私は,8月7日〜9日まで長崎で開催された原水爆禁止世界大会に茨城県の代表として参加させていただきました。7日の朝に荒川沖駅に集合して羽田から飛行機で長崎まで行きました。飛行機は緊張しました。
 長崎に着いてから,バスで長崎市内に出て開会総会に備えホテルに向かいました。長崎は初めてだったので,とても楽しみでした。街の中のは路面電車が走っていていい景色でした。
 7日の3時時から長崎の市民体育館で世界大会の開会総会が開かれました。私は文化ホールのほうで聞きました。被爆者の方の声を聞くことができました。原爆から50年以上すぎた今でも原爆のために体の不自由な人が多くいることが分かりました。とくに原爆症の認定についての裁判に悩まされている松谷さんの証言はとても心を打たれました。被爆者の方の声をテレビなどでしか見たり聞いたりするだけだったので,直接聞くことができてとてもいい機会でした。全国各地の代表の方も若い人から年配の方まで大勢来ていてみなさんのやる気を実感することができました。私もしっかり勉強しないといけないと思いました。全国で行われている活動についても知ることができました。
 2日目は,分科会ということで様々な会場に分かれて行われました。
私は体育館で行われた「核兵器のない21世紀へ−学習と運動交流の分科会」に参加させていただきました。
その中で水着のビキニという言葉の由来が原水爆に関係してるということを聞き驚きましたまた,今,若い人にこの運動が受け継がれていることを知りました。
 3日目は,10時から閉会総会がありました。原水爆をなくすための決意を聞くことができました。最近でもインドやパキスタンで相次いで核実験が行われました。そのような核実験は何の意味もないものだと思います。すべての国の人が,核兵器を廃絶しなければならないと決意しなければいけないと思いました。
 この大会に参加して,いろいろなことを勉強させてもらいました。被爆者の声を通して核のおそろしさを感じました。そして,多くの人が核をなくすために努力していることを実感することができました。私も,この機会に原水爆のことをよく勉強するよう努力したいと思いました。

核兵器のない21世紀に向けて

畜産試験場  大久保 公規

 
 8月7日から3日間にかけて開催されました。原水爆禁止1999年世界大会に初めて参加させていただきました。原水禁といっても何をするのか知らないので軽い気持ちでいた。原水爆禁止大会で色々の人が発言していた中で,「埼玉県が過半数を超える署名が集まり発言していました。」それから高校生がこう発言しました。
「核兵器を持ち,もしもそれが使われたなら,何万人,何億一体どれだけの人が“悲しみ”を抱くのでしょうか。 そんな“悲しみ” はいりません。幸せに,平和に核兵器のない21世紀を」 。 自分の心に残る言葉でした。長崎へ原爆投下から54回目の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典がありました。少し早く起きて原爆公園を見回ってから平和記念像にいって千羽鶴の束が沢山おかれていました。それから原爆資料館に行き長崎型原子爆弾の模型を見てこんな爆弾で全てが灰とかしたのかと思うと核兵器は使わせては行けないとつくづく思いました。

 
原水禁世界大会に参加して
 

果樹試験場  保立 泰男

 
 今回,8月の7,8,9日に行われた,原水爆禁止1999年世界大会に参加させていただきました。初参加ということもあり最初は少し緊張していましたが,周りの方々と気軽にふれあうことができ,すぐに打ち解けることが出来ました。そして,周りの方々の平和に対する真剣さにも気付かされました。まず開会総会では参加者7000人以上という報告を受け,そして,その中には外国からの方も大勢いることを知り,原水爆禁止の平和の心は全世界に広がっているのだと思いました。そして,代表の方々が様々な意見を述べました。一つはアメリカの博物館では原子爆弾の関連のグッズが売っているという話です。そして原爆投下は日本軍によるパールハーバ−攻撃への報復,日本の戦争責任,ポツダム宣言拒絶による対抗措置,アメリカの若者の命を救うためというような理由を付けて,正当化しているというのです。とても許せないことだと思います。では長崎や広島が原子爆弾で被爆したことは,正しく道理にかなっていたといえるのでしょうか。いえ,正しい訳がありません。原爆を投下して数ヶ月で広島では約14万人,長崎では約7万人の人々が亡くなったそうです。そして今もなお原爆症で苦しんでいる人が大勢いるのです。その中には原爆症と認められていない人もいます。しかし十数年も前から認めてもらおうと,日夜たたかっている人がいます。それが松谷英子さんです。長崎地裁と福岡高裁と勝利しましたが最高裁にもつれ込み,最高裁での勝利を目指し周りのたくさんの方々と共に力を合わせ頑張っています。二日目は核兵器のない21世紀へという分科会に参加させていただきました。そこでは,なかなか興味深い話を聞かしていただきました。今,2400以上の地方自治体が平和非核宣言を出すなどして平和な世界を築こうと努力しています。しかし,その反面,非核三原則をすべて知っている国民が約1%しかいないという結果も出たそうです。この自治体と国民との隔たりをどのようにして解決してくかがこれからの大きな問題だと思います。このようにして討論の中から多くの進展が報告される一方,様々な課題も出てきました。その課題を解決していくためにも,草の根から行動をつよめよう(案)が出され,もっと多く人々の力が必要になると思います。私は長崎出身ということもあり,小さい頃から平和について学んできました。そして原水禁世界大会に参加させていただき,ただ平和は大切だというだけではなく,平和に対して具体的にどのようなことが行われているのかを知ることが出来ました。最後に,このような機会を与えていただき本当にありがとうございました。

 
原水禁大会に参加して
 

                家畜衛生試験場 高田 圭介

 

 8月7日から9日にかけて開催された原水爆禁止世界大会・長崎に初めて参加させてもらいました。       

 1日目は開会総会がありました。全国各地から,7,000人以上の人が集まり,会場は熱気でいっぱいでした。これだけの人が,核兵器廃絶のために色々な運動をしていることを知り,心強く感じながらも,何もしていない私が恥ずかしくも思えました。
 2日目は,分散会・分科会がありました。ここでは,被爆者の体験談や,各地での運動の様子について詳しく話しを聞くことができ,いい勉強になりました。
 3日目,閉会総会があり,今世紀中に核兵器廃絶を目標に頑張ろうということを,みんなで決意しました。
 3日間という短い期間ではありましたが,多くのことを知ることができ,この大会に参加して良かったと思っています。私も,20年間長崎で育ってきて,原爆の恐ろしさは耳にタコができるほど聞かされてきました。だから,核兵器は絶対になくさなくてはなりません。みんなで核兵器廃絶のために頑張りましょう。私もできる限りのことはやってみるつもりです。

99原水禁世界大会に参加して
 

             森林総合研究所 松永 道雄

 
 私は今大会,被爆者・核実験被害者の援護・連帯の分科会に参加しました。その中で「原爆松谷裁判」の松谷英子さんの証言を聞く事が出来ました。恥ずかしながら私はこの分科会に参加するまで裁判のことも松谷さんのお名前も知りませんでした。
 松谷さんは3歳5カ月の時,爆心地から2.4qの所で爆風で飛んできた原爆瓦が頭に当り,頭蓋骨埋没骨折し脳損傷による下半身不随と言う重い障害をおわれました。
 被爆直後,脱毛にも泣かされた松谷さんは厚生大臣に原爆症の認定を申請しましたが,厚生大臣は「原爆放射線の影響ではない」と却下しました。この却下処分の取り消しを求めた長崎地裁,福岡高裁の判決は「原爆症と認定せよ」との判決でしたが,国は最高裁に上告し,審理が続いているそうです。「原爆放射線の影響ではないので,認定しない」と言う厚生大臣の見解に,疑問というかショックを受けました。原爆の影響であることは紛れもない事実であり,放射線の影響がある無いの問題ではないのではと。
 松谷さん以外にも,長崎で被爆された方々の証言や,全国から集まられた団体の方々の活動報告を聞くことができました。被爆地長崎,広島以外の都道府県や市町村の団体での核廃絶,反戦活動,被災者支援活動の報告を聞き,私に何が出来るか考えさせられました。
 インド,パキスタンの核実験や,NATO軍のユーゴ空爆,朝鮮半島問題など国や宗教の違いによっていろんな思想があるのも事実であり,それに対して核や軍事力が牽制し合っているのも事実だと思います。しかし,55年前原爆が投下され大勢の方々が亡くなり,今でも31万人近い被爆者の方々が苦しんでおられるのも事実であります。
 唯一の被爆国の日本人として,原爆の恐ろしさ,戦争の悲惨さを世界に訴えていく必要があると思いました。最後に99年原水禁世界大会に参加させていただきありがとうございました。

 


原水禁世界大会に参加して

             森林総合研究所    吉澤 宗慶

 
 広島・長崎の原爆投下から54回目の夏,私は8月7日から9日までの3日間長崎において行われた原水爆禁止1999年世界大会に参加させてもらいました。
私は出身が熊本なので,長崎は小学校の修学旅行などで訪れたことがあり,そのときに私なりに反核等の問題に取り組んだつもりだったので,原爆のことはある程度は知っているつもりでしたが,世界大会そのものは初めてであり,世界・日本各地から数多くの人が参加して,熱心にスピーチしているのを聞き,草の根の運動を束ねるとこんなにも大きなものになるのかと,正直言って驚きました。
 私は2日目に「戦争と平和,軍事同盟について」の分科会に参加しました,その中では米軍基地問題についてのことが取り上げられました。日本は米国と締結している「日米安全保障条約」を根拠に米軍を駐留させていますが,その施設区域の約75%が,沖縄に集中し,そのために演習による被害,米軍・軍属による事件事故,環境汚染が,産業振興の阻害が深刻となっています。このように沖縄の被害は深刻で米軍基地に対して,生活環境を守る意味から,沖縄の参加者の方は「沖縄に基地を押しつける政府の暴力的行為に対して,みんなで抗議の声をあげてましょう。そして米軍基地を沖縄から,日本から無くして,本当の意味で安全なこころ豊かな日本をつくっていきましょう。」と訴えていました。その他の地域でも米軍飛行機による低空飛行や夜間発着訓練などの被害を訴える声を聞き,私が思っていた以上に米軍基地の被害は深刻なものだと感じこういった運動にこれからも参加していくことで,こういった被害がなくなることを願います。
最後に,長崎に行かせてもらえて感謝しています。ありがとうございました。
 

 
原水禁世界大会に参加して
 

国際農林水産業研究センター  石川 隆之

 
 原爆の被災地・長崎を訪れた。広島は数回訪れたことがあったが長崎は初めてだった。今は高層ビルも建ち並び,市電が便利に街中を走り回り,広島の原爆ドームのように原爆を強烈に象徴するようなものといったら街中には特段なかった。しかし,長崎原爆式典で11時3分に黙祷を捧げたときに,54年前のこの暑い日に,この長崎に原爆がおとされたということを実感した。
 分科会は被爆者と核実験被害者の証言を聞き交流するつどいに参加した。今まで原水爆というと広島と長崎の被爆者のことしか知らなかったが,この分科会に参加して,核爆弾を開発する過程で多くの核実験被害者がいるということを知った。彼らの中には誤って放射能を受けた人々もいるだろう。しかし,人体実験として核爆弾の効果を調べられた人々がいたというのも事実だ。彼らには何の罪もない。悪魔の兵器の開発によって犠牲となった人々である。アメリカでは核実験被害者が25万人もいるという。その被害者の平均寿命は57歳であり,染色体異常をきたした人々は53%にも及ぶという。何百回と行われた核兵器の開発により,これだけ多くの,そしてこれだけ高割合の人々が今も後遺症に悩んでいる。アメリカだけでない。ソビエトもフランスもイギリスでも核実験は行われた。特にソビエトの核実験はずさんだった。今年になってはインド・パキスタン両国で核実験が行われている。今年だけで,どれだけ多くの核実験被害者が生まれたことだろう。原爆を使用した側も,使用された側もどちらも犠牲者を出さなければならなかったという事は,原水爆を創り出した人類にとっての大きな過ちとしか言いようがない。
分科会で会場から意見を募ったとき,一人の女性の被爆者が悲痛な思いで叫んでいた。「私は54年前に長崎で被爆しました。そのため手足が不自由になりました。何度も死のうと思いましたが,こうして私を支えてくれる人がいてくれたためにここまで生きることが出来ました」と。一体これからも原水爆によって何人の犠牲者を出したら気が済むのだろうか。
原水爆禁止
   1999年世界大会に参加して
 

全農林筑波地本 浜田 善幸

 
 8月7日から9日長崎で開催された原水禁世界大会に参加 しました。この大会は2度目の参加ですが,今回は初めて佐 世保基地の見学に参加しました。
 佐世保には,米海軍,海上自衛隊,陸上自衛隊の基地が置かれています。その中心は米海軍,海上自衛隊です。これらの軍事施設は,平坦部の少ない斜面都市佐世保の一等地の陸域を占領する形になっており,市街化区域における比較割合では約20%になっています。佐世保港は,港湾水域において長崎港の10倍,神戸港の4倍,横浜港の2.5倍という広大な水域を持つ天然の良港です。しかし,83%は米軍への提供水域となっており,佐世保市民が何の制約もなく,自由に勝つようできる水域はわずか17%にすぎず,市民の願っている平和港湾都市発展にとって重大な障害になっています。その結果,米軍,海自が持つ岸壁,桟橋は3,684mにのぼり,さらに1,520mの建設が予定されてるそうです。民間企業の岸壁,公共岸壁,桟橋の総延長が2,870mであることを考えれば佐世保港の軍事利用が際だっていることに驚きを感じました。また,これらの軍事施設が佐世保市内全体に散財しており,特に広大な佐世保湾内には,9つの弾薬庫と貯油所があり油と弾薬庫という最も危険な貯蔵施設でおおわれています。市民は,この危険な中で生活をしていることを考えれば,軍事基地のない日本を実現することが大事だと感じました。
 国連では毎年,核兵器の廃絶条約の締結を求める決議が圧倒的多数の賛成で可決されています。しかし,日本政府は一度も賛成したことがありません。しかも政府は5月に,アメリカの戦争に日本を参戦させるガイドライン法・戦争法を強行成立させました。戦争法が発動されれば,日本に核兵器がもちこまれ,被爆国日本が,アメリカの核脅迫と核攻撃の加担者になる危険も高まっています。核兵器をなくすためにもガイドライン法の危険についてみんなで語りあい考えることが大切ではないかと思います。
 最後になりますが今回参加して感じたことは,若い人たち(特に高校生)が核戦争阻止,核兵器廃絶,被爆者援護・連帯の3つの目標を掲げて全国で平和運動を行っていることに感激しました。私たちも子供たちへ平和の大事させ伝えて行かなければならないと感じました。

原水爆禁止世界大会で感じたこと

資源環境技術総合研究所  白石 誠

 
 8/7〜8/9の3日間,長崎の原水爆禁止世界大会に参加しました。
 そこで感じたことをいくつか挙げると,開会総会・閉会総会に参加し国内外の代表者の発表や,各団体の活動報告を聞き,非常に熱いメッセージや熱意と大会参加者のすごいパワー感じました。
 2日目に行われた分科会では被爆跡地,原爆ドームを見学し,被爆者小峰秀孝さんのお話を聞きました。原爆ドームには,その当時のものが数多く残されています。なかには目を背けたくなるものもありました。小峰さんのお話では,自分の体のこと,いじめられたこと,自分の生活のこと等自分の身に起こったことを語ってくれました。
「本当は話したくない・そっとしておいて欲しい。けれど,もう二度とこんなひどいことが起きないよう,私に起こったことを通じて核の恐ろしさ,悲惨さというものを伝えていきたい。」という言葉が印象的でした。この日改めて核投下の悲惨さ・恐ろしさを痛感しました。
 海外では,依然として核実験や開発さらには戦争が後を絶ちません。核保有国は,核を持つことにより国に安全が保障されていると言い,広島・長崎への核投下は人体への影響を調べるためだったという考え,さらには一部では広島,長崎に投下した核をモチーフにしたキーホルダー等が考案されたそうです。もちろん販売は中止になりましたが,このような核を正当化する考えは私には理解できません。核のみならず,恐ろしい兵器をもつことに不快感はないのでしょうか? 核や武力衝突による代償は大きなものです。衝突や紛争を武力でねじ伏せることが正義でしょうか?兵器をなくし,各国が譲り合い助け合っていくべきでないでしょうか。
 大変貴重な3日間でした。

1999原水爆禁止世界大会に参加して
〜研究者として,人間として出来ること〜
 
通産省工業技術院 物質工学工業技術研究所
市野 善朗 (ichino@nimc.go.jp)
 
 8月7日と9日の開閉会総会に挟まれた8日,分散会に参加して発言した内容と,帰途の車中にて自己紹介ついでにお話したことをまとめ,今回の原水禁大会参加への感想に代えさせて頂くことをご了承下さい。
  私が参加した分散会は,「反核・平和の草の根活動交流分散会」と題し,全国からの参加者が平和大行進やアピール署名をはじめ,職場や大学,高校内での取り組みについて互いに報告し合う場となりました。私は核廃絶運動や平和運動への取り組みを職場内で行なっている訳でなく,特に報告に値することはなかったのですが,何も残さずに帰るのも少々癪なのと,他参加者とは多少異なった視点で物が言えそうに思い,下記のような発言を行なってきました。
ご存じのようにつくば市は,国や民間の研究機関が集中する,国がデザインした研究学園都市です。私の所属する工業技術院には,バイオテクノロジー,電子情報通信技術,化学技術を始め,最先端の科学技術が集結しています。これらの技術は,一度方向を誤れば化学兵器,生物兵器,核ミサイル技術等に即応用可能なものばかりです。その中で働く私達職員は,人間がそういった「負の」ポテンシャルを握ることの恐ろしさ,危険性を最も知り得る立場にあるし,その恐ろしさを伝えていく義務も同時に背負っている事を肝に銘じなくてはならないと考えます。
 私は職場の労働組合で先日まで書記長職についている関係上,職場の総括責任者である工業技術院長との数回にわたる交渉の場に立ち会う機会に恵まれました。統一要求交渉の場で組合側は,「工業技術院がいかなる軍事研究をも行なわないこと」を要求してきました。院長の回答は,「軍事研究は今までもしてこなかったし,今後も行なうことはあり得ない」でした。今般の独法化に際して工業技術院は消滅しますが,この決意が変わることなく,曲解されることなく受け継がれるよう,切に願ってやみません。
 
私は4年前,阪神地方を襲った震災の渦中にありました。幸い家族は無事でしたが,家屋の損傷が激しく,暫くの間避難所での生活を強いられました。避難所でボランティアとして働くうち,地元に土地勘があることもあり,全国各地から集まったボランティアをまとめる責任者となりました。この経験は,今でも様々な場面で生きています。
自分自身が直接何らかの被害を受けた場合,行動を起こす動機に不足はありません。隣人の痛みが直に分かるからです。震災直後,各地から集まったボランティアの方々は,自身が直接の被害者ではないので善意と勇気に溢れる行動であるとは思いますが,当時誰もが報道を通じて震災の悲惨さを間近に感じる事が出来たという点では,ある意味十分な動機を持つ当然の行動です。しかし,ライフラインが復旧し,人々が徐々に日常生活を取り戻し始めた後も引き続き居残り,長期に渡って地道な活動をされた方々には頭が下がる思いです。継続こそが最も困難を伴うことだからです。 核戦争を経験したこともなく,間接的な被害者でもない私達が,核兵器の廃絶を継続的に訴え続ける行動をとっていくことは,そういった意味で最も難しいことなのかもしれません。
今回の原水禁世界大会への参加は,その難しさを改めて思い起こさせるとともに,だからこそ,自分には今,何が出来る?と常に自身に問いかけ続けていく必要があるのだと痛感しました。
 
長崎原水禁世界大会 参加報告
 

電子技術総合研究所 石田 夕起

 
 8月7-9日の3日間の日程で長崎原水禁世界大会に出席しましたので,その報告を致します。
 まず,8月7日の開会総会ですが,会場の熱気はものすごく,タオルを持っていって正解でした。ここでの核兵器廃絶の思いは非常に共感できるものでした。ただ,気になったのは,アメリカの軍事基地撤去の問題やらNATOによるユーゴ空爆に対する非難,安保問題など,核兵器廃絶に直接関係ない問題にも言及していた点です。私は,個人的には日米安保を支持しているので,非常に違和感を持ちました。特に不満に思いましたのは,ただアメリカを批判するだけでその対案を示さないことです。しかし,この場は総会ですので,それらは分科会にて話し合われるのであろうと思い,翌日を楽しみにすることにしました。
 大会2日目は各会場に分かれ,分科会が行われました。私は,「戦争と平和,軍事同盟について」の分科会に参加しました。この分科会では,始めに広島宣言についての内容補足と説明があり,その後,分科会参加者による活動報告がありました。しかし,私の期待した,日米安保を破棄した後の方策が示されことなく,各地の活動家の報告に終始し,一般人の質問を受け付けるような雰囲気になかったことには失望させられました。これでは,私のような一般の参加者は,参加しても面白くも何ともなく,また,勉強にもなりません。
 大会3日目最終日。閉会総会は10:30より行われましたが,他の団体主催の式も見ておこうと思い,市主催の平和祈念式典に参加しました。その前に爆心地の慰霊塔の前を通ったところ,原水禁の人たちがいました。そこでは,太鼓をたたく人あり,演説をしている人ありで雑然とした雰囲気でした。それに対して,平和祈念式典は厳かであり,いかにも死者を悼むという雰囲気にあふれ,原水禁の人たちとは好対照であったことは印象的です。原爆投下時刻(11:02)に黙祷をささげ,その後,閉会総会に参加しましたが,これについては何も言うことはありません。
 全体的な感想としましては,カンパで私を長崎に送り出してくれた方々には申し訳ないですが,原水協の運動には共鳴できないということでした。核兵器廃絶には,当然,私も賛成です。しかし,その他の事柄は,あまりにも,政治的に偏りがあるように思われました。これでは,運動に広がりがなくなってしまうのではないでしょうか。核兵器廃絶という問題に関しては,余計な政治的主張は切り放して純粋に核兵器廃絶に絞らないと,その政治主張のために一般の人は原水禁の運動を支持しにくいでしょうし,核保有国はもちろんその主張を飲むことが出来ないでしょうから,かえって核兵器廃絶を遅らせてしまうような気がします。
 以上,辛口の感想でしたが,私のような参加者もいるということで,これからの原水協の運動を進めていくに当たり,参考になりましたら幸甚です。 最後に,今回の世界大会出席に対しカンパをして頂いた全ての人に感謝申し上げます。

 
原水爆禁止世界大会・長崎に参加して
 

              気象研究所 原田 智史

 
 筑波の気象研究所を代表して,私は今回の大会に参加した。気象研究所からはほぼ毎年1名以上の代表を派遣しているが,私個人としては,大会への参加は今回が初めてである。そして長崎に行ったのも今回が初めてである。
 今回の大会の2日目には,うごく分科会・被爆遺跡モニュメント巡りに参加させていただいた。爆心地や平和公園を中心に散在する被爆の爪痕を残す数々の遺跡やモニュメントを徒歩でゆっくりと見学することが出来,長崎へ初めて来た私としては観光も兼ねることが出来て大変有意義であった。
 その分科会では,昼食後に「被爆者の店」という建物の地階の会議室にて,被爆者の一人である小峰秀孝さんのご講演を聞くことができた。時間の都合上40分程の講演時間であったが,被爆者としての自分の波瀾に満ちた半生をむしろ淡々と話す姿は,聞く者の感銘を誘わずにはいられなかった。
 4歳8ヵ月での被爆。両手両足腹の火傷。死ぬほどの痛み。醜く変形した右足。まっすぐ歩けないために受けた小学校時代の先生や生徒からの差別やいじめ。愛した女性の親から交際を拒絶され,その絶望のために睡眠薬自殺まで謀ったこと。愛した妻とも理解し合えず離婚したこと。そのために娘が非行に走ったこと…。
 「こんな自分の恥部を晒すような半生を人に話すことは辛いことです。しかし原爆の為に人生を目茶苦茶にされた第二の自分を作らないためにも,原爆の恐怖を伝える語り部として皆さんにお話しするのです」と小峰さんは話す。
 身の周りの級友や自分の伴侶や自分の子供ですらも,彼の前にその醜く弱い心を晒させてしまう,これももう一つの原爆の恐怖であり悲劇であろう。原爆がもたらしたのは,生命や文明の一瞬の直接的な破壊のみにはとどまらない。被爆した人やその周りの人にも一生消えない心の傷を残す。その意味で,これほど残忍で残酷な兵器は他にあるまい。
 被爆から54年が過ぎ,21世紀まで500日足らずとなり,生き残った被爆者の方々も平均年齢が70歳近くになろうとしている今,原爆の恐怖を後世に伝えると言う最も直接的な運動は徐々に困難になりつつある。皮肉にも,世紀末に誕生した日本の内閣は「戦争法」「盗聴法」などの悪法を次々と成立させ,日本を忌まわしい過去の戦争の歴史へと逆戻りさせかねない状況である。原爆の「語り部」が一人また一人と消えていこうとして
いる今,大会に参加し学習した我々には,この悲劇と恐怖を後世に伝え,二度とその過ちを繰り返さないための第二の「語り部」となる義務があるのではないだろうか。
 大会参加についての全体的な感想としては,やや慌ただしい日程ではあったものの,心配された台風の影響もほとんどなくどうにか天候にも恵まれ,最後まで事故もなく無事健康に過ごすことが出来て何よりであった。
ただ,代表団が一同に会した親睦会のようなものを行う機会がなかったことは,少し残念に思う。
 最後に,今回の長崎での大会を共に過ごしてきた仲間に感謝の念を表しつつ,擱筆することとする。(写真:8月8日,平和公園にて)

原水爆禁止世界大会に参加して

       (佐世保の実態)

 

         高エネルギー加速器研究機構  内山 隆司

 
 長崎の地も佐世保も初めて行きました。佐世保港の周りには米軍基地やハウステンボスがあり観光客が多くいました。観光では見れない所まで現地の人に案内をしていただいたので簡単ですが報告致します。詳しく知りたい方は,実際に自分の目でしっかり見てきて下さい。
 佐世保という街は平地の少ないところと聞いていたのですが結構平地がありました。しかし,立地条件の良いところの大部分が米海軍で使用されており,日本にいながらアメリカいるような印象を受けました。佐世保港の港湾水域は8割以上が米軍の基地利用になっていて,佐世保市民が何の制約もなく自由に活用できる水域はわずか2割にも満たないというのが現状です。港には多くの戦艦や潜水艦が着岸しており,また,周辺には弾薬庫,貯油所などが置かれています。特に驚いたのが弾薬庫の置かれている場所です。常識的に考えると通常は民家から離れた所にあるべきのものが,わずか数メートルしか離れていないということです。いくら管理が万全とはいえ常識はずれだと思いました。また,いくつかあるうちの弾薬庫にはアメリカから核兵器が持ち込まれているということです。日本のどこかにもあるとは思っていましたが,現実に目の前のどこかにあると聞いた時には恐ろしくなりました。
 原水爆禁止世界大会(長崎)に初めて参加して感じたことは,実際に投下された地に住む住民よりも各県からの参加している人達の方が熱心に核兵器の廃絶を訴えているように感じました。長崎や広島の代表団の人達の話もいろいろと聞く機会があって核兵器反対の署名が過半数だけというのは無関心過ぎるように思えます。実際に投下された地に住む住民なら,少なくとも9割以上の署名を集めてほしいと思いました。
 また,8月9日の11時02分に爆心地を訪れて感じたことは,長崎市民の願いというよりも全世界の願いを見たような気がします。最後に,この大会に出席させていただき,ご協力いただきました関係者の皆様方に感謝致します。

原水禁世界大会に参加して

                   

                新婦人つくば支部 宮崎 聖子

 

この度,長崎での8月7日〜9日にかけて行われた原水禁世界大会に参加させていただきました。私は,28歳まで長崎で育ちました。父は,広島で被爆し,母は長崎で被爆しました。 毎年夏が来ると,小学校の道徳では,原爆のお話や,本を読み,9日には,学校の平和祈念式典に出席するという幼年時代を過ごしました。その頃の私は,学校でも原爆の話を聞き,家に帰れば父や母の被爆体験を聞くという生活だったため,思春期頃には,もう原爆の話は聞きたくないという子供になっていました。

そのくらい父の広島での体験や資料館での写真は小さな子供には,強烈だったのです。
 つくばに来てからは,ますます誰かに話すこともせず毎年ニュースで見て「そうだった・・・今日は,9日だったっけ」と思うくらいでした。
 今回,大会に参加して,年齢性別を問わず日本中のたくさんのひとびとが一つの思いで集まってきているのを目の当たりに見て改めて私にとっての原爆というものを考える時間を持つことができました。
 小学校一年生の息子に優しい言葉を選びながら原爆を語る母を遠くで見ながら,悲惨な戦争体験者が第1戦から退きつつある今となっては,出来るだけ多くの戦争体験を受け継がなくては,特に長崎は被爆体験を持つ街としてその使命を果たさなければならないと思えてきましたし,私自身も父や母から語り継がれたものを,次の世代にしっかりと風化しないように残していかなければならないと思ったのです。
 8日は,分科会に出席し,韓国被爆者や核実験被害者の方々のお話を聞いたり,また,夕方からは,女性の集いに参加しました。
 8月9日11時2分サイレンが鳴り響く中黙祷を捧げました。参加会場を1歩外に出ると太陽の日差しと人々の熱気ですごい暑さだったのですが,そんなぼうっとした頭の中でお土産屋さんの必死の呼び込みがちょっぴり悲しく聞こえました。
 最後に,このような機会を与えて下さった方々,お世話いただいた方々,支援していただいた方々に厚くお礼申し上げます。

地道な活動こそ平和に

原水爆禁止筑波実行委員会 又川 速雄

 
 長崎市で開かれた原水爆禁止1999年世界大会・長崎は8月8日市内各地で「核兵器のない二十一世紀のために」をテ−マに六つの分散会と十二の分科会,佐世保基地行動など三つの動く分科会を開き,各会場では,熱心な討論が繰り広げられました。
 反核・平和の草の根活動交流分散会は,六会場に分かれて,核兵器のない二十一世紀へ向けた各地の運動を交流し,「まちから,学園・職場から国際共同行動をさらに」「垣根をこえた共同を進め,来年また会おう」と話あいました。
 第二分散会では,日本原水協の大川義篤代表理事が国際会議広島宣言の内容を報告し,広島で被爆した小川節子さんは被爆体験を語りました。小川さんは,産んだ子供が何回もすぐに亡くなり,離婚せざるをえなかったとのべ,「四十歳のときの四人目の子がいま三十歳になって生きていますが,もし被爆していなかったら,普通の生活ができた」と核兵器廃絶の願いを切々と訴えました。
 広島・長崎原爆の日にちなみ,毎月六,九の両日,核兵器廃絶を訴える「6.9行動」,核廃絶を求めるアピ−ル署名,原発パネル展,平和行進などについて各地からの参加者が発言。一つひとつの小さな動きが,好核勢力を押し返す大きな力になっている思いを共有しました。
 各地の代表は,戦争法反対,米艦船入港や米軍演習反対などの地道な取り組みを語りました。若者の発言も目立ち,東京の和光大学の学生は,「平和を学び語り表現しましょう。そして一人ひとりつながろう」を方針にした平和サ−クルの運動を紹介し,原爆の事実を知ることから始めたと述べました。
 何人もが被爆体験を聞いて「新たな語り部になる」と発言すると,参加者は大きな拍手でこたえました。
 今回,茨城県から70名うち19名が学園からの参加者でした。参加者は一様に,原爆の恐ろしさと戦争の悲劇を受け止めることが出来ました。私たちも多くの仲間に語り,平和の尊さを地道に訴えるよう努めて行かなければならないと感じさされた1999年原水爆禁止世界大会でした。
 

 
原水爆禁止1999年世界大会国際会議
広島宣言
−核兵器のない21世紀にむけて
 
「核兵器のない平和な21世紀を」−この声が,いま世界にひろがっている。世界平和を脅かす新たな動きも強まっている中で,核兵器廃絶を実現することは,いまを生きる者の,明日の時代に向けたもっとも重要な責務である。核戦争阻止,核兵器廃絶,被爆者援護・連帯をかかげて,世界の平和のために奮闘してきたわれわれは,21世紀に向かってさらに前進することを世界のすべての人々によびかける。
 1990年代初め,ソ連が崩壊し,米ソの軍事対決が終わったとき,人びとは「核兵器廃絶実現の好機が到来した」との期待を高めた。しかし,それから約十年,いまだに世界には三万発をこえる核兵器が残されている。
 唯一の超大国になったアメリカは,軍事力の圧倒的優位を確保しながら,核兵器を絶対に手放さないと繰り返し宣言し,核兵器廃絶に反対するばかりか,今日なお核兵器先制使用政策を取りつづけている。現にアメリカはこの数年,イラク,リビアなどに核攻撃を加える可能性を公然と示唆し,核兵器使用の危機を高めた。また,新型戦略爆撃機や貫通型核弾頭など,新たな核兵器の開発と実戦配備をすすめ,包括的核実験禁止条約の精神に反して,未臨界核実験を繰り返している。
 一方,昨年のインド,パキスタンの相次ぐ核実験とそれにつづく両国の軍事衝突が衝撃的に示したように,核兵器の拡散と地域核戦争の危険さえ生まれている。こうした核保有の企てを誘発する根源には,特定の国が「核抑止力」に固執して,巨大な核兵器システムを保持し,それを正当化している今日の核兵器独占体制の重大な矛盾がある。特にアメリカをはじめ核保有国の一部が核兵器先制不使用や非核保有国への不使用の誓約を拒否しつづけるなら,核拡散がさらにひろがる危険さえある。
 世界の非核化にむけてイニシヤチブを発揮すべき責務を負っている被爆国・日本政府は,アメリカの「核抑止力」に依存し,核兵器廃絶に背を向けつづけている。
われわれは,このような事態を二十一世紀に引き継ぐわけにはいかない。世界諸国民が核兵器の脅威から解放される道は,すみやかな核兵器廃絶以外にはない。それを実現することは,世界平和と人類の未来がかかっている緊急の課題である。
 また,ユ−ゴに対するNATO軍による国連無視の武力攻撃は,多くの人命を奪い,国際社会の厳しい批判をあびた。それは,主権尊重,内政不干渉,紛争の平和的解決など,国連憲章に定められた世界平和のル−ルを踏みにじるものであった。
 その背景には,「地域危機への対応」という名目で,同盟国も動員して他国への内政干渉,先制攻撃をおこなうという,アメリカの新たな世界戦略がある。アメリカは,この体制を世界的規模でつくるため,アジア・太平洋地域では日本にガイドライン関連法=戦争法を押しつけ,ヨ−ロッパ・大西洋地域では他のNATO諸国とともに「新戦略概念」を策定した。それは「同盟国の防衛」というこれまでの建て前をふみこえた軍事同盟の危険な変質と言わなければならない。
 こうした動きは,唯一他国に核基地を展開しているアメリカの「核の傘」のもとで進められており,NATOではひきつづき加盟国にアメリカの核兵器が配備され,日米ガイドラインと核密約による日本への核持ち込みの危険と「非核三原則」の空洞化も重大な問題となっている。軍事同盟が,核戦争阻止,核兵器廃絶という世界諸国民の要求をさまたげていることは明らかである。
 核兵器と軍事同盟をふりかざした覇権主義の政治は,もう一方で,膨大な軍事費による国民生活の圧迫,大国主導の「グロ−バリゼ−ション」害悪をひろげ,世界的に貧困,失業,飢餓,環境破壊をさらに深刻なものとしている。
 われわれは,国連無視の武力行使や干渉などの横暴を許さず,民族自決の原則,紛争の平和的解決など,国連憲章に定められた平和の秩序を守り確立するために奮闘しなければならない。それは,核兵器廃絶とともに,二十一世紀にむけた世界平和の焦点となっている。
 二十世紀の激動の中で,核兵器のない世界を求める運動と世論がかつてなくひろがっている。これまで核兵器の「必要性」を説いてきた人びとのあいだにも核兵器廃絶の声がひろがりはじめ,核兵器全面禁止・廃絶を実現するために力関係を根本的に転換させる新しい条件と可能性がひろがっている。
 百を超える諸国による非同盟運動は,ひきつづき期限を区切った核兵器廃絶交渉を要求している。核保有国に核兵器廃絶の決断をもとめた「新アジェンダ連合」への参加もひろがっている。核保有国のなかでも,中国は核兵器禁止条約を提唱している。NATO加盟国のなかからも,核先制使用政策の見直しをもとめる声がでている。
 非核地帯の設置・拡大,自治体や港湾の非核化を求める運動も世界各地にひろがりつつある。国際的な被爆者遊説,世界の街角での原爆展,ヒロシマ・ナガサキデ−の行動,核保有国に核兵器廃絶の決断をもとめるNGOの様々な共同のイニシヤチブなどが発展している。世界の広範な平和運動が参加したハ−グ平和市民会議でも,「公正な世界秩序をもとめる基本十原則」のなかに核兵器廃絶の要求が一致してかかげられた。アメリカなど核保有国やインド・パキスタンでも核兵器に反対する運動が発展しつつある。
 核兵器のない二十一世紀を築くため,世界諸国民の世論と運動を飛躍的に前進させることが,決定的に重要である。いまこそ,世界各国のあらゆる地域,職場,学園から「核兵器のない平和な二十一世紀を」の声をいっせいにあげ,各国政府と国連を動かし,核兵器廃絶の早期決断とその促進を国際政治の具体的日程にあげるようはたらきかけよう。
 ユ−ゴ空爆に参戦したNATO諸国では,軍事作戦にともなって基地被害,演習事故,環境破壊が続発したことへの批判がわきあがり,軍事同盟の強化反対,基地撤去,核兵器先制使用反対などの世論と運動がひろがっている。アメリカや同盟国のなかからも「自衛」の範囲をこえたNATOの攻撃的戦略に異論がだされている。
 アメリカによる干渉戦争への日本参戦に道をひらき,アジア諸国から強く批判されている日米ガイドラインと「戦争法」に反対する世論と運動がかつてない大きなひろがりをみせている。沖縄などの米軍基地や軍事演習の拡大・強化に反対する住民や地方自治体のたたかいも,ねばり強くつづいている。アジア・太平洋諸国への侵略戦争の反省のうえに戦争放棄を定めた日本国憲法の平和原則を擁護するたたかいは,国連憲章による平和の秩序をまもる世界の大きな流れと合致するものである。
 アメリカが国際法も国連憲章も無視した武力行使によって世界を支配しようとするやり方にたいし,世界のさまざまな立場の人びとからも懸念と批判が強まっている。ヒロシマ・ナガサキをふくむ世界大戦の惨禍を二度とくりかえさず,国連憲章でさだめた平和の秩序を確固としてまもるためにも,国際世論と運動の力でアメリカの横暴を押さえていくことが,平和な二十一世紀を実現する上で不可欠である。
 われわれは,核兵器のない平和な二十一世紀にむけて,以下の課題をかかげ,ともに奮闘することをよびかける。
○全核保有国による核兵器廃絶の誓約。核兵器全面禁止・廃絶条約の早期締結。核兵器廃 絶を中心議題とする第四回国連軍縮特別総会のすみやかな開催。
○すべての核保有国の核兵器先制使用政策の放棄。核兵器の即応発射態勢の解除。未臨界 実験を含むあらゆる核実験の禁止,あらゆる核兵器の研究・開発の中止。非核地帯の設 置・拡大・強化。国や自治体・港湾の非核化。他国への核兵器持ち込み禁止と撤去。
○広島・長崎の被爆の実相と核兵器被害の実態調査・解明・普及,被爆者・核兵器被害者 への国家補償。核エネルギ−の軍事利用禁止,核燃料サイクルにともなう被害根絶。
○干渉・先制攻撃戦略反対。戦争協力の拒否。外国軍事基地・軍隊による被害の根絶・補 償,外国軍事基地撤去。軍事同盟の侵略的な強化・拡大反対,軍事同盟解消。
○軍事費の削減と,福祉・生活の向上。経済,社会の自主的・民主的発展。
 
 世界各国,各地で運動を強め,二〇〇〇年末までの「核兵器のない二十一世紀を−国際共同行動期間」のとりくみをさらに豊かに発展させよう。1999年と2000年の国連総会を焦点に,核兵器廃絶の国際的な共同行動の波をおこそう。ことしの国連軍縮週間(十月二十四日〜三十日)の行動を第一派のとりくみとして,それぞれの国で自国の政府と各国政府,国連にたいし核兵器全面禁止・廃絶のための行動を要請しよう。2000年のNPT再検討会議などの機会に,国際政治を揺り動かす共同の行動を発展させよう。
 「ヒロシマ・ナガサキからのアピ−ル」署名など多様な行動を職場,地域,学園ですすめよう。これまでの運動の枠をこえ,さまざまな団体や個人の間の対話,交流,共同を各国の草の根から促進しよう。これらを土台に,さまざまな国際的イニシヤチブやキャンペ−ンと広く連帯し,思想,政治信条,信仰,人種,国籍の違いをこえた反核・平和の国際的な共同に発展させていこう。
 原水爆禁止2000年大会を,これらの世界の運動の総結集の場としよう。
 われわれは,人類史上はじめて核兵器の惨禍をうけた広島の地から,世界の反核・平和の運動の広大な共同と連帯を重ねてよびかける。
 ノ−モア・ヒロシマ,ノ−モア・ナガサキ,ノ−モア・ヒバクシャ,ノ−モア・ウオ−! 1999年8月5日
          原水爆禁止1999年世界大会国際会議
 
 

 
核兵器のない平和な二一世紀にむけて
    草の根から行動を強めよう
 
 いま,二一世紀を目前にして核兵器のない平和な世界の実現が切実にもとめられています。米ソの軍事対決がおわり,核兵器廃絶への期待が高まりましたが,核保有国はなお三万発をこえる核兵器をもっています。
 アメリカは,核兵器の圧倒的な優位を確保するために未臨界核実験をくりかえし,核兵器先制使用をさえ公言しています。これにたいし,非同盟諸国は期限を切った核兵器廃絶交渉を要求し,「新アジェンダ連合」は核兵器廃絶の決断を核保有国に迫っています。アメリカをはじめとする核保有国でも,核政策の転換をもとめる世論が起こっています。被爆国でありながらアメリカの核戦略に追随して核兵器廃絶に背をむけている日本政府は,日本国民はもとより,世界諸国民からも大きな批判をあびています。内外に核兵器廃絶の緊急性をうったえつづけてきた日本の運動は,いまこそ,これまでにもまして奮闘することがもとめられています。
 また,世界の平和秩序を守るうえでも,重大な事態が起きています。アメリカは,NATOと日米軍事同盟を侵略的に強化し,他国への軍事干渉・介入に同盟国を総動員しています。国連無視・アメリカ主導のユ−ゴ空爆や日本での戦争法の成立はその端的なあらわれであり,核もちこみの危険をも高めるものです。くわえて,日本政府は,憲法をふみにじり,アメリカの干渉戦争への日本参戦の道を開き,「盗聴法」や「君が代・日の丸」の法制化をすすめようとしています。こうした動きのなかに戦争の足音を感じとった広範な人々は,一連の反憲法的な策動に反対する共同の輪をひろげ,大きく前進しています。
 いまこそ,世界の人々と連帯し,日本の好核政策,戦争政策への批判をひろげ,反核・平和の国民的な大運動をきずくときです。
 原水爆禁止1999年世界大会・国際会議の決議「広島宣言−核兵器のない二一世紀にむけた」は,2000年末までの「核兵器のない二一世紀を−国際共同行動期間」のとりくみや,1999年と2000年の国連総会を焦点とした国際共同行動をよびかけ,その前進のために,これまでの運動の枠をこえ,さまざまな団体・個人の間の対話・交流・共同を各国の草の根から促進することをよびかけています。
 諸国民の運動の前進こそ,核兵器廃絶と平和な二一世紀を実現する最大の力です。長崎の決意を全国にひろげ,草の根から行動をくりひろげましょう。
1.すべての核保有国が核兵器廃絶を誓約し,すべての政府が核兵器廃絶条約締結のための協議を開始することを,また,すべての国の政府がそのためにイニシヤチブを発揮することを要求しましょう。
1.日本政府に核廃絶のための明確な決断をもとめましょう。その一環として,1999 年の第五四回国連総会で核兵器廃絶のための諸決議に賛成し,被爆国としての責任ある行動をとるようもとめる対政府署名運動にとりくむのをはじめ,さまざまな形態の行動で日本政府に迫る運動をすすめましょう。ことしの軍縮週間(10月24日〜30日)を「核兵器廃絶の国際共同行動の波」第一波の活動として,「ヒロシマ・ナガサキからのアピ−ル」署名ともむすび,全国の地域・職場・学園から全力でとりくみましょう。
1.未臨界核実験をふくむあらゆる核実験と核兵器の開発を中止させ,核兵器先制使用政策を放棄させましょう。
1.日米の「核密約」を放棄させ,「非核三原則」の法制化をもとめましょう。地方自治 体や港湾の非核化をもとめる運動を推進しましょう。
1.戦争法の具体化を監視・告発する運動を全国の草の根でまきおこすとともに,その発 動を阻止し,有事立法の制定をやめさせましょう。憲法九条に象徴される平和原則をま もる運動を大きく発展させましょう。
1.佐世保,沖縄をはじめ,米軍基地の再編強化に反対し,基地を縮小・撤去させましょう。安保条約廃棄の世論を大きくひろげ,すべての軍事同盟の解消をもとめる運動をつよめましょう。
1.原爆被害および核兵器被害の実相を解明し,世界にひろめましょう。原爆展の開催,被爆者の証言活動,原爆遺跡の保存運動など,被爆の実相を広める運動を若い世代の参加を重視してつよめましょう。被爆者の遊説活動,原爆写真やビデオを世界に贈る活動を被爆者とともにすすめましょう。
1.原爆被爆者・核兵器被害者への援護・連帯をつよめ,国家補償の実現をせまりましょう。長崎原爆松谷訴訟の最高裁での勝利をかちとりましょう。
 
 長崎原爆訴訟の原告・松谷英子さんはうったえます。
 「みなさん。わたしのからだを見てください。
 原爆さえ無かったら,こんな苦しみを味わうことは無かったのです。
 そのことを国に認めさせてほしいのです。
 核兵器はなくさなければなりません。
 みなさん。わたしといっしょにたたかってください」
 
 この地を「地球最後の被爆地」に!
 1999年8月9日
              原水爆禁止1999年世界大会・長崎

原水爆禁止1999年世界大会代表団
 
   秋山  匡央    農林水産技術会議事務局筑波事務所 
   永田  義美    農業研究センター  
   山沢  英之    農業生物資源研究所  
   高橋  正史    農業環境技術研究所  
   大久保 公規    畜産試験場   
   保立  泰男    果樹試験場 
   井上   尚    蚕糸・昆虫農業技術研究所
   高田  圭介    家畜衛生試験場  
   松永  道雄    森林総合研究所  
   吉沢  宗慶    森林総合研究所  
   石川  隆之    国際農林水産業研究センター
   浜田  善幸    全農林筑波地方本部 
   白石   誠    資源環境技術総合研究所  
   市野  善朗    物質工学工業技術研究所  
   石田  夕紀    電子技術総合研究所  
   原田  智史    気象研研究所     
   内山  隆司    高エネルギー加速器研究機構    
   宮崎  聖子    新日本婦人の会つくば支部     
   又川  速雄    学園原水禁学園実行会

原水爆禁止筑波研究学園都市実行委員会申し合わせ
 
(目的・名称)
1 原水爆の完全禁止を目的とし、名称を原水爆禁止筑波研究学園都市実行委員会
 (略称 学園原水禁実行委員会)という。
(構成)
2 この会は、目的に賛同する個人・団体で構成され、全会一致を原則とする。
(財政)
3 この会の財政は、主に寄付によってまかない、残額は次年度に引き継ぐものとする。
(役員)
4 この会は日常的な運営を行うために、代表幹事・事務局員若干名を置き、総会で選出 する。
(活動)
5 この会は、原水爆禁止世界大会決議を実践する。
(その他)
6 その他、この会に関わる問題については、総会において協議する。
                           1987年1月10日